2013年度(平成25)
会期:2014年(平成26) 3月15日~5月15日
この展覧会では、建築家 土浦亀城・信子夫妻と、彼らの自邸をご紹介しました。
土浦亀城は、1897年(明治30)茨城県水戸市生まれ。1919年(大正8)に東京帝国大学建築学科に入学。東京帝国大学で教鞭をとっていた吉野作造の講演を聞いたことがきっかけで、吉野作造の自宅に出入りするようになり、その縁で、作造の長女・信子と知り合い、結婚に至ります。
1921年(大正10)夏、亀城は、先輩の遠藤新に誘われ、フランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテルの建設現場で働く機会を得ます。これがきっかけとなり、1923年(大正12)4月に亀城と信子はアメリカに渡り、約2年間、ライトのアトリエに勤務しました。
帰国後、亀城は、大倉土木株式会社(現在の大成建設)に入社して、設計の仕事を始めます。会社の仕事するかたわら、友人から依頼されて住宅を設計し、それを雑誌に発表することによって、建築家としての評価を高めていきました。また、信子も、日本の住宅に関する自分の考えを雑誌に発表したり、住宅設計コンペに応募したりと、積極的に活動をしました。
1935年(昭和10)に竣工した土浦亀城邸は、採光と換気を考慮した大きな開口部や、合理的に考えられた間取り、水洗トイレやボイラーを始めとする最新設備を備えた住宅でした。当時の雑誌記事等にも積極的に取り上げられています。冬は冷たい水で炊事、洗濯をするのが当たり前だった時代に、皿洗いのために温水が出る台所。当時の住宅事情では、家事労働のための設備を充実させようという動きは一般的ではありませんでした。
現在のわたしたちの合理的な暮らしの出発点は、この住宅にあるといっても過言ではありません。
会期:2013年(平成25) 7月20日~2014年(平成26) 3月2日
武蔵野郷土館から引き継いだ資料のうち、考古資料により、旧石器時代から中世までの武蔵野のあゆみを紹介するとともに、トピックスとして武蔵野の歴史や民俗にまつわる資料も紹介しました。展示構成と内容は以下のとおりです。
(1)旧石器時代~3万年前のくらし~
茂呂遺跡のローム層標本(出土黒曜石入り)などを紹介。
(2)縄文時代~採集・狩猟・漁撈の時代~
考古資料による展示の大半を占めるコーナー。橋立岩陰遺跡の草創期土器片、中期・後期の華やかな土器各種、重要文化財の土製耳飾(下布田遺跡)、広畑貝塚の骨角器や埋葬人骨、丸木舟などバラエティに富んだ資料を展示しました。
(3)弥生時代~米づくりが始まったころ~
弥生式土器、石包丁などを展示しました。方形周溝墓の写真パネルも展示しました。
(4)古墳がつくられたころ
観音塚古墳の太刀型埴輪、須恵器などを展示しました。当園の屋外展示物、瀬戸岡古墳群1号墳も合わせて紹介しました。
(5)国づくりのころ
武蔵国分寺等の古瓦、深大寺釈迦如来倚像(複製)などを展示しました。
(6)中世の武蔵野~在地領主の時代~
板碑、片口蓋付骨壺、かわらけ、馬の頭骨、八王子城関係資料などを展示しました。
(7)武蔵野の歴史 玉川上水
玉川上水の近世から現代までのあゆみを年表として展示し、玉川上水の関係資料(上水の水質を守るため、禁止事項をうたった高札、4m余の上水木樋、江戸時代の上水関係文書など)を展示しました。当園の屋外展示物、上水石枡などもあわせてご紹介しました。
(8)武蔵野の民俗 七夕馬と虫送り人形
武蔵野郷土館の初期のころ収集され、展示されていた藁製の七夕馬、虫送り人形を展示しました。
このほか、武蔵野郷土館や前身の武蔵野博物館を紹介するパネルの展示、閉館直前の様子 を克明に記録し、紹介した映像「武蔵野郷土館」の放映も行いました。
10月12日には、関連事業として講演会「武蔵野郷土館の発掘調査と考古学」を行いました。元武蔵野郷土館調査員の岡田淳子氏、学生時代から武蔵野郷土館の発掘調査に関わっておられた坂詰秀一氏、川崎義雄氏より、武蔵野郷土館時代のさまざまなお話を伺いました。
例年、考古資料が中心ですが、初の試みとして七夕馬などの民俗展示を行いました。七夕の習俗として藁で馬を作って奉納する習慣は関東の広い地域であったようで、来園されたお客様がその思い出をお話しされている様子も見られました。
会期:2013年(平成25) 5月18日~7月7日
大奥展というと調度品や衣装などを展示した華やかな展覧会を想起しますが、今回は寺院との関係という違う角度から大奥を取り上げた展示としました。大奥女中が信仰や支援をした寺院の大半は、将軍家の菩提寺や祈祷寺・御膳所など徳川家と関わりのある寺院です。
5代将軍綱吉の生母桂昌院が建立した寺院の事例として万福寺塔頭法林院を取り上げ、出開帳で江戸に運ばれた秘仏が江戸城大奥に上がった例として身延山久遠寺、立山、善光寺を取り上げパネル展示しました。特定の大奥女中と密接な関係にあった妙定院、法養寺、広く信仰を集めた堀之内妙法寺を紹介し、焼失後の再建に大奥を頼った事例として木下川浄光寺の資料を展示しました。さらに奥女中と僧侶との密通が疑われた延命院事件や智泉院事件についても事件の真相を掘り下げ、証拠となる新出の史料にたどり着きました。
昨今、大奥女中が開基となった寺や墓所となった寺院、あるいは子孫のお宅から関係資料が発見されています。今回資料を借用した寺院の大半は外部に資料を貸しだすのは初めてで、展示資料の多くは初御目見えといえるものでした。また、幕末の大奥御年寄瀧山の日記をこの展覧会で初公開しました。
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