江戸東京たてもの園の前身施設である武蔵野郷土館は、今から70年前の1954年(昭和29)1月14日に開館しました。郷土館では都内のみならず関東地方に所在する遺跡の発掘調査を行い、出土資料を公開していました。また、武蔵野の民俗に関する資料の収集にも力を入れ、展示・保存・調査研究を行っていました。さらに、「民俗園」と称された屋外展示では、竪穴住居を再現したり、古墳の縮小模型などを展示していたりしたほか、道路の敷設等に伴い保存が困難になった貴重な建築物の移築・保存も行っていました。1991年(平成3)に惜しまれつつ閉館したのち、貴重な資料の一部が当園に引き継がれて今日に至ります。
本展覧会では、郷土館が発行していた印刷物などからそのあゆみをご紹介します。また、収集資料の中から武蔵野の考古と産業そして民俗を取り上げます。それらを通して、在りし日の郷土館に思いを馳せていただければ幸いです。
武蔵野郷土館の歴史は、1934年(昭和9)11月17日に、有栖川宮記念公園内に開設された東京郷土資料陳列館に始まります。その後、1948年(昭和23)に井の頭恩賜公園内に移転して武蔵野博物館となり、さらに1954年(昭和29)には都立小金井公園内に移設され、武蔵野郷土館へと形をかえて開館しました。以後1991年(平成3)の閉館までの長い間、東京都の歴史博物館として多くの方々に親しまれました。本章では、それぞれの施設のパンフレットなどから武蔵野郷土館のあゆみをご紹介します。
武蔵野郷土館では、前身の武蔵野博物館の頃から戦後の考古学史に残る発掘調査を多数実施しました。調査は都内のみならず関東一円で行われ、その出土資料は武蔵野の旧石器時代から近世までを語るに足る充実ぶりとなっています。今回はその中から、旧石器時代から古代までの主な遺跡から出土した資料をご紹介します。
武蔵野郷土館では、武蔵野の産業の成り立ちなどを紹介するために、農具や養蚕業の道具のほか、商店で使われていた看板等、多種多様な産業に関するものを収集し、展示していました。今回はそれらの収蔵品の中から、かつて東京湾で盛んだった海苔漁や各地での農業、そして農業と兼業して行われることも多かった養蚕業について、使用する道具や写真資料を交えてご紹介します。
武蔵野郷土館が収集した民俗資料は、土人形やダルマ、絵馬や郷土玩具など多岐にわたります。中には、カエルをモチーフにした郷土玩具や生活用品などのコレクションも含まれます。また絵馬は、東京都や埼玉県で文化財調査に携わった稲村坦元(たんげん)のコレクションを多く所蔵しています。今回は、数多くある民俗資料のなかから、土人形と絵馬を中心にご紹介します。
当園の「ビジターセンター」は、郷土館時代には様々な資料を展示する施設でした。そして屋内での展示のほかに、「民俗園」として屋外展示も行っていました。園内には「古代の村」として、竪穴住居や前方後円墳の縮小模型、高床倉庫などが展示されていました。また「江戸の村」には、現在も当園にある吉野家や伊達家の門、鍵屋、天明家が、「古代の村」には奄美の高倉が、移築、公開されていました。本章では、屋内展示施設だった旧光華殿(現ビジターセンター)を含めた6棟の復元建造物について、「民俗園」にあった頃の姿をご紹介します。
土製耳飾 調布市下布田遺跡出土 縄文時代晩期(国指定重要文化財)
大刀形埴輪 大田区観音塚古墳出土 古墳時代後期
海苔下駄 昭和時代
横座繰 昭和時代
唐箕 昭和時代
手向山八幡宮の板立馬 大正~昭和時代
今戸人形
武蔵野郷土館時代の奄美の高倉
全て、江戸東京たてもの園蔵
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