1993年(平成5)3月28日の開館以来、江戸から東京の歴史を豊富な資料と模型を用いて紹介する博物館として親しまれている東京都江戸東京博物館。現在、大規模な改修工事実施のため、長期間の休館となっています。
今回の特別展「江戸東京博物館コレクション〜江戸東京のまちづくり〜」は、江戸東京博物館の常設展の中からまちづくりを紹介するコーナーを取り上げ、そこで展示されていた資料や模型などを用いて江戸から近現代の東京のまちの変遷を紹介します。現在もスクラップ・アンド・ビルドを続けながら変化を続ける東京。江戸時代からの長い積み重ねを経て今の姿があるということに、思いをはせていただくきっかけとなれば幸いです。
1603年(慶長8)、征夷大将軍となった徳川家康は、幕府の所在地にふさわしい都市とするため、江戸の開発を推し進めました。開発がひと段落してまもない1657年(明暦3)、市街地の過半を焼き尽くす明暦の大火が発生すると、幕府は中心部にあった大名屋敷や寺社を郊外に移転させて密集度を緩和し、火除地等の設置や消火体制の見直しを行いました。その後も人口の増加、都市域の拡大は続き、18世紀になると江戸は世界屈指の巨大都市へと発展し、政治・文化の中心地として成熟していきます。ここでは江戸幕府の成立から約260 年にわたって栄華を誇った江戸時代のまちの様子を紹介します。
天下の総城下町・江戸は、百万の人口を抱える巨大都市として栄えましたが、徳川政権の崩壊とともに、その繁栄は失われました。特に江戸の7割を占めた旧武家地の荒廃ぶりは甚だしく、主を失った武家地では、桑の栽培や茶畑への転換が奨励されるなど、都市開発とは逆行するようなことが行なわれました。その後新政府主導のもと、大貿易港として発展していた横浜と新橋を結ぶ鉄道の敷設など西洋の先進技術の速やかな導入や、旧武家地を利用した都市整備が進んだことから、首都東京は急速な発展を見せました。ここでは近代国家にふさわしい首都の建設の中で誕生したまちの様子を紹介します。
1923年(大正12)9月1日、相模湾沖を震源とするマグニチュード7.9の大地震が関東地方の南部や周辺地域を襲いました。地震発生後、市内各所で火災が発生し、3日の午前中まで燃え続きました。「大震火災」とも呼ばれた地震と火災により、東京市内の人口220万人のうち、150万人の人々が家を失ったといいます。ここでは、関東大震災により壊滅的な被害を受けた東京が、大規模な区画整理を行い災害に強いまちづくりを推し進め、「大東京」へと変貌を遂げた様子を紹介します。
1941年(昭和16)に始まった太平洋戦争は1945年(昭和20)を迎えると、米軍が新たに開発した戦略爆撃機B29による日本本土への空襲が本格化し、「帝都」東京への空襲も熾烈をきわめました。関東大震災から20 年あまり、廃墟から復興して世界有数の大都市となっていた東京は、再び壊滅状態となりました。ここでは空襲による深刻な惨禍から、力強く復興していく様子を紹介します。
終戦から20年にも満たない1964年(昭和39)に開催された第18回オリンピック東京大会は、93の国と地域から、5,000人以上もの選手が集まって開催された一大イベントでした。そしてアジア地域で初めて開催されたこの大会で、東京は世界都市への仲間入りを果たしました。ここでは都内各所に配置された各種の競技会場の建設や、モータリゼーションの本格的な展開をうけて不可欠な都市交通インフラとなった首都高速道路の整備など、オリンピックを控え大きく変貌を遂げていった東京の様子を紹介します。
掲載資料
①江戸名所 猿若町芝居顔見世繁栄の図 歌川広重/画 江戸後期〜末期 ※展示期間:10/17(火)〜11/12(日)
②絵葉書 馬場先通より宮城を望む 大正時代
③絵葉書 清州橋 昭和初期
④GHQによる接収候補地調査空撮写真 両国遠景 1945年(昭和20)
⑤銀座復興絵巻(複製) 麻生豊/画 昭和中期
⑥絵葉書 天然色 東京名所 高速道路 MARUICHIDO/製 1964年(昭和39)
⑦江戸火事図巻 田代幸春/画 江戸後期
⑧東京築地ホテル館之図 歌川芳藤/画 1870年(明治3)※展示期間:11/14(火)〜12/17(日)
⑨浅草広小路及仲見世附近延焼之惨状 喜多川周之コレクション 1923年(大正12)※展示期間:9/16(土)〜10/15(日)
⑩ワシントン・ハイツ 撮影/佐藤翠陽 1954年(昭和29)
⑪たばこパッケージ ピース(首都高速道路1号4号線開通記念) 日本専売公社/製 1964年(昭和39)
全て、東京都江戸東京博物館蔵
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